Episode ここだけの話など

009.日本の防衛政策を正しく理解するために 

はじめに-今も足りない安全保障への理解-
 
近年、国民の間での安全保障に関する意識が高まっている。日本の安全保障を取り巻く環境が、米国における9.11テロ、イラク戦争、北朝鮮による拉致事件やミサイル・核兵器開発、中国の軍事力の増強などで厳しくなっていることなどからである。
この国民の安全保障への意識の高まりを受けて、安全保障の勉強をしたいという機運が高まってきているが、日本には、体系的な教科書・参考書がないのが現状である。これは戦後教育の弊害でもあり、「国家や軍は悪」「軍事のことを研究するのは危険だ」「平和憲法を守ってさえいれば平和は確保される」といった誤った意識があるからと考えられ、また、日本の大学に安全保障講座がなく、そのために教科書もほとんど存在しないのはこうしたことからであろう。

(安全保障を学びたいという機運は、確実に高まりつつある)

憲法と日本の防衛政策は、またまだ日本では冷静かつ客観的な立場から国民に伝えられていない。かつて有事法制に関する出版物でも、多数が有事法制反対の立場からのものであり、私自身『急げ!有事法制』(朝雲新聞社、2002年)を上梓したが、当時、こうした賛成論からのアプローチは極めて少数派であった。
しかし、現実は平成15(2003)年、有事法制は武力攻撃事態対処関連法として、国会で圧倒的多数の賛成で成立した。
大学の憲法学者の多数が「軍は悪」「憲法違反の自衛隊」「米軍の戦争に協力するもの」といった、まさに感情的とも言える観点から有事法制に反対の立場であり、国民のある意味で健全な判断に対峙するものとなっていた。このような全てに反対といった考えは、現実の世の中の動きが正確には反映されたものとは言えないだろう。
 
また、政治や経済を考える上でも国の安全保障政策の知識が欠かせない。
政治の「55年体制」とは、冷戦の激化から「米国対ソ連」という国際的な構図が影響し、それが「自民党対社会党」の構図の中で安全保障の議論を硬直化させ、現実の世界とのかい離を広げてしまった。冷戦終結でソ連が崩壊すると社会党も議席を激減させ、党名を社民党に変えたが小政党となってしまった。
経済でも、「失われた10年」最近では「失われた20年」という言葉すらあるが、これも90年代までのバブル経済の崩壊といった単純な視点だけではなく、冷戦終結に伴い、経済問題解決に集中することが可能となったことで、米国をはじめ世界各国で経済重視政策への転換が図られ、米国・中国といった有力な経済の競争相手が出現し、その影響を日本経済が大きく受けることとなったという背景があることを忘れてはならないだろう。
もしも仮に激しい冷戦が続いていれば、米国は情報衛星やIT技術といった軍事技術分野で現在見られるような民間転用ができたか、優位を得られていたか、我が国の「失われた10年」もなかったのではないか、といった点についてよく思いを致す必要があろう。

「自国を守る」ということ
 
国防は国の基本である。国という字を思い出して欲しい。国の旧字は國であるが、この國という字の中にある小さな口は国民・人民、その下の一は土地、戈(ほこ)は武力・軍事力で、外の口は国境をさしており、国にとって武力は古来より不可欠と考えられてきたのである。他方「武」とは、戈を止めると書く。このように「武力=軍事力」は国の安全保障を確保し戦争を防止するためのものなのである。
したがって、軍人ほど戦争には抑制的との見方もある。

(「ヒゲの隊長」佐藤正久議員と。軍事を知る人ほど、戦争には抑制的)

 『日本人の価値観 世界ランキング調査から読み解く』(鈴木賢志著、中公選書)に、日本人は、戦争になったら進んで自国のために戦うという人が極端に少ないことが記されている。自国のために戦うと答える人の割合は、世界平均が71.5%、日本は何とダントツの最下位の90位(24.6%)である。世界の90か国中、50%を超えていないのはわずか8か国しかなく、上位はアジア、アフリカのほか、10位デンマーク、13位ノルウェー、19位スウェーデン、23位フィンランドの北欧諸国が入っているのが注目される。
北欧諸国といえば、福祉が充実、人に優しい社会、平和を愛する国々といったイメージだがこれらの国々では、平和は、放っておけば自然に生まれるとか、誰かが与えてくれるものとの認識はされず、自らで努力して作り上げるものだ、という考えが浸透している。4か国とも徴兵制が敷かれている。
北欧諸国がODAや難民受け入れに熱心なのは、単に優しいというのではなく、困窮した人々が爆発して世界の平和、ひいては自分たちの平和が脅かされるのを未然に防ぐためにやっている。
 
また、永世中立を目指すスイスは、今の日本と同じように他国への侵略などは考えない国家である。スイスは政府発行の「民間防衛」の手引きを全国民に配布して、国家として姿勢を明確にし、それには次のようなことが記されている。
 
「平和と自由は、一度それが確保されたからといって永遠に続くものではない。スイスはみずから帝国主義的な野心を持たず、領土の征服などを夢見るものでもない。しかし我が国はその独立を維持し、みずからつくった制度を守り続けることを望む。そのために力を尽くすことが我が国当局と国民自身の義務である。軍事的防衛の準備には絶えざる努力を要するが、精神的防衛にもこれに劣らぬ力を注ぐ必要がある。
国民各自が戦争のショックを被る覚悟をしておかなければならない。その心の用意なくして不意打ちを受けると、悲劇的な破局を迎えることになってしまう。我が国では決して戦争はないと断言するのは軽率であり、結果的には大変な災難をもたらしかねないことになってしまう」
 
以上の点が日本人の意識と大きくかい離している。
これは、戦後の誤った憲法教育と防衛政策に関する教育の欠落・不足が招いた実態である。

安全保障研究のさらなる普及を目指して
 
小林節慶應義塾大学教授は、「正論」(1995年2月4日、産経新聞)で、「第一に国家の命運を預かる政治家は、非常時に際しては、その結果について無条件で責任を負う覚悟で速やかに大きな決断を下すべき立場にあることを自覚しなければならない。第二に、この激動期の時代に、先例のない問題に直面した場合、行政は「市民の常識」を根拠に速やかに決断を下すことをためらってはならない。第三に、この際、私達・国民はイデオロギーや先入観を捨てて国家の不可欠な一要素としての軍事力の本質を直視しなければならない」と述べている。
このことが、現在の日本の政治に欠けている点である。
 
筆者は、小林節教授のご指導により、慶應義塾大学大学院法学研究科の非常勤講師として「日本の安全保障講座」(憲法特殊講義)を担当し、現実の日本の安全保障・防衛政策の実態を具体的に講義し14年目※となる。(※出版当時、以降も計15年にわたり担当)
近年では、自衛隊OBの志方俊之、森本敏両氏をはじめ、大学での安全保障講座が少しずつ設置されてきてはいるが、まだまだ十分とは言えない状況である。
本書は筆者が、湾岸戦争が勃発した平成3(1991)年から自民党政務調査会で国防部会担当となって以来、現在まで一貫して日本の安全保障・防衛政策の策定・法律の立案等に携わってきたこと、慶應義塾大学大学院で講義を行ってきた経験を生かし、さらに、実際に実務を担当している防衛省・自衛隊の有志の英知を結集して分担・執筆して作成されたものである。

筆者と小林節先生(現・慶應義塾大学名誉教授)
本書は、
(1)大学を始め一般社会人向けの安全保障に関する基本書となること、
(2)正しい安全保障に関する知識を広く普及させること、
(3)日本の各大学に安全保障の実際を知る防衛省・自衛隊のOBの大学教授等による「日本の安全保障講座」が設けられる端緒となること、
を目的としている。
これらが実現することによって、日本の大学教育の中で一番足りない安全保障・防衛分野に関する正しい知識が日本の次代を担うリーダー始め広く国民に普及され、国の安全保障を考える一助になればと考えたからである。
 
本書は、現実の政府の防衛政策を踏まえて著されたものである。したがって、本書の内容は防衛省・政府の考え方を基本としている。日本の防衛政策で最も大事なことは、まず責任ある政府の見解を学ぶことである。政府の見解を十分に理解することなく、軍事反対のイデオロギー的立場から単に感情的に批判するといったことは、健全な防衛政策論議を阻害する以外の何ものも生み出さず、厳に慎まなければならないことである。
今後、日本が国際社会の中で生きて行くためには、我々国民が正しい安全保障の知識と見識を身につけることが必要である。
 
今回は、前著『 教科書・日本の防衛政策』を時代の変化に対応して大幅に加筆修正、さらに母校・拓殖大学海外事情研究所の『海外事情、2008・11』掲載の「わが国における冷戦後の安全保障政策の変遷-自民党安全保障担当スタッフとしての回想-」を加えた。
 
本書が、防衛政策を真剣に考える多くの国民の皆様に読んでいただくことを期待する。
結びに、現在もご指導を受けている敬愛する小林節慶應義塾大学教授に心から御礼を申し上げたい。
 
平成24(2012)年4月2日 田村重信

 
『日本の防衛政策』