Episode ここだけの話など

011. 菅義偉からの忘れられない「ありがとう」

組織の中に菅のような人がいると、非常にまとまるものです。特に若手からすると、何かあったらあの人に相談すれば良いと頼れるからありがたいのです。
私はこれまで菅と深く付き合ったことはありません。ただ、面倒見が良く、礼儀正しい人だという噂は、以前から聞いていました。だから人望が厚いのです。
 
あるとき、菅の地元・横浜の自民党支部で開催される研修会で講演することが決まりました。するとその直後、ある会合で顔を合わせたときに、菅はこういってきたのです。
「田村さん、今度横浜で講演をやってくれることになったそうですね。ありがとうございます」
お礼をいってくれたことは素直にうれしかったのですが、それ以上に驚いたのが、菅の情報収集能力です。
官房長官という首相を身近でサポートする役割の人にとってみたら、自分の党の職員が横浜で講演することなど小さな話です。また、毎日忙しくしているのだから、たとえ秘書から「政調会の田村が横浜で講演します」と報告を受けていたとしても、そんな話は忘れてしまうものではないでしょうか。しかし、菅はそれをしっかりと覚えていた。だから私を見かけると、わざわざお礼をいってくれたのです。
これは小さなことかもしれません。しかし、一言お礼を言われると言われないのとでは、その人に抱くイメージはまったく違ったものになります
菅は評判どおり、礼儀正しい人物なのだなと実感しました。それと同時に、政権発足以来、なぜ安倍総理が菅を官房長官に据え続けているのかも分かりました。総理と思想信条が近く、また政治家として有能なのはもちろんですが、やはり常に気くばりができる、そんな菅だからこそ、総理から大役を任されているのだと思います。

第二次大戦時のイギリスの名宰相、ウィンストン・チャーチルは、「誠実でなければ、人を動かすことはできない」というよく知られた言葉を残しています。彼は“ヒトラーから世界を救った男”として、欧米ではいまなお熱狂的な人気を誇ります。

ウィンストン・チャーチル(1874-1965)

チャーチルは歯に衣着せぬ物言いで、議会では変人扱いされて嫌われていました。けれど、彼の悪態が「真に強い国をつくるため、すべては国のため」という想いから出ていることは、議員をはじめ、国民全員に伝わっていました。つまり、誠実さという目に見えないものでも、きちんと相手に伝わるものなのです。菅はまさに、この大政治家と同じことを実践しているといえるでしょう。
 
田中角栄や小泉純一郎のような話術やカリスマ性を兼ね備えた人は、そうはいるものではありません。だからこそ、組織人としてのあり方を菅から学ぶべきだと考えています。常に丁寧に、真摯に、真面目に人と接する。そしていかなるときも感情的にはならない。それだけで周りの人は「またあの人に相談しよう」と考えるようになるでしょう。すると、あなたの組織での存在感はどんどん増すし、同時に組織での評価も上がります。そして気づいたら菅のように出世していくことも夢ではないはずです。

実は菅は、お酒が飲めない体質です(パンケーキが好物の甘党です)。それでも、夜にはさまざまな分野で活躍する人と会食して、交流を深めているといいます。多い日は、何件も会食をハシゴすることもあるそうです。会食には情報収集という大きな目的があるのでしょうが、それ以上に、人と会い、人と接することで、コミュニケーション術を学んでいるのではないかと推察します。そうして得たスキルを、組織内で遺憾なく発揮している。だから菅は党内で支持を集めているのです。

(お酒は駄目でも、お茶を片手に交流を深める)

時を遡ること150年前、欧米諸国がアジアで次々と植民地を広げていき、日本は動乱の最中にありました。攘夷(じょうい)か鎖国か、国の行く末を大きく変える決断のときに、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せた男こそ、西郷隆盛です。じつは彼もお酒が得意でない下戸(げこ)でした。

 
 西郷隆盛(1828-1877)

「敬天愛人」(天を敬い民衆を愛する)を人生の美学としていた西郷は、たとえお酒は飲めなくとも、坂本龍馬や勝海舟といった重要な人物とたくさんの交流をもち、さまざまな知見を得ることで、やがて現在の日本国へとつながる礎を築いていきました。
令和を迎えて、我が国を取り巻く国際情勢はますますスリリングになってきています。今まで以上にグローバルな視座、海外要人との人脈、国内各所との連携や信頼関係が必要になっているときに、菅のような“下戸”が台頭するのは、私には偶然の一致とは思えないのです。

日本の行く末を変えた知られざる「菅の突破力」

自民党が野党に転落した直後の2009年9月、谷垣禎一が自民党総裁に就任しました。その後谷垣は、政権奪還を目標に3年にわたって党を率いました。
ところが2012年の総裁選では、谷垣のもとで幹事長を務めていた石原伸晃が立候補を表明。すると谷垣は、執行部を統率できていなかったことを理由に、自らの出馬を断念したのです。
そうして行われた総裁選には石原伸晃のほか、石破茂、町村信孝、林芳正、そして安倍晋三の5名が出馬。候補者が出揃ってから、いざ投票日を迎えるまで、ずっと石破が優勢といわれていました。かくいう私も、国防・安全保障で深く付き合っていた石破に一票を投じました。

(熾烈をきわめた、2012年の自民党総裁選)
石破は自民党が下野してからというもの、国会で厳しく民主党政権を追及していました。また、メディアを使っ自らの考えを訴えるなど、巧みな話術でアピールを続けていました。当時の石破はとにかく輝いていたと思います。しかし、結果的には安倍が総裁の座を射止めることになります。

実は安倍は、ギリギリまでこの総裁選に出馬するつもりはなかったといいます。やはり石破に勝てる見込みがなかったからでしょう。そんな安倍に出馬するよう訴え、最終的に口説き落としたのが菅です。もちろん、安倍に対する個人的感情から口説いたわけではありません。民主党政権下で日米関係はかつてないほどに冷え切り、経済状況も低迷していました。そんな危機的状況で政権を抜萎えるのは、安倍しかいないと考えていたのでしょう。
 
また、菅はその時点で、出馬すれば必ず勝てると考えていました。実は安倍は2007年にたった一年で総理を辞すると、その後は一兵卒として若手議員たちのために遊説に回って、ずっと汗をかいていました。だから党内、特に若手議員からの人望が厚かったのです。そして菅もそれをわかっていました。だからこそ、いまが勝負のときだと考え、出馬を猛プッシュした。それに応えるかたちで、安倍は重い腰を上げたというわけです。
 
投票結果は、菅の思惑通りとなりました。第一回投票では石破が最も多くの党員票を集め、一位になりました。しかし得票数が過半数に満たなかったため、二位の安倍あいだで決選投票が行われ、国会議員の支持を享けて、安倍は108票を獲得して勝利したのです。
先述したとおり、菅は滅多に感情を露わにしませんが、それでも実はハートが熱い。また、こうと決めたら実行する突破力があります。

そんな菅の突破力を象徴する話があります。2002年、当選二期目だった菅は、北朝鮮の貨客船・万景峰号の入港を禁止する法律を議員立法で作りました。万景峰号が、不正送金や対日工作活動に活用されている疑いがあったからです。二期目の若手議員でありながら、これほど大きな法律を作ってしまう。当時はその実行力に舌を巻いたものです。
 
官房長官になってからも、突破力を遺憾なく発揮しています。安倍政権はベトナムなどの外国人入国ビザの受け入れ拡大を決めましたが、当初、外務省は犯罪率の増加などを理由に反対したのです。しかし、菅が調整して実現させました。やると決めたらやる男、それが菅義偉なのです。
 
こうと決めたら必ずやり通す――。そんな菅の市政は政治家のみならず、夢を持って生きている誰しもが参考にすべきではないでしょうか。

(そして、第99代内閣総理大臣へ。画像出典:www.bloomberg.co.jp)

 
『気配りが9割 永田町で45年みてきた「うまくいっている人の習慣」』