Episode ここだけの話など

003.僕も続けることで「安保の田村」になった

 

 
ここで、自衛隊の活動の歴史(表)をご覧ください。
自衛隊関連の法律が新たに作られたり、改正された。
それにより、どれだけ防衛省・自衛隊の仕事が増えたかという歴史を示しているものです。
1991年から始まっています。このとき、ペルシャ湾掃海艇が出ました。その後、PKO法が成立し、カンボジアPKOに自衛隊が派遣されました。ルワンダの難民救援もあった。
2001年は、9・11テロ事件により、テロ対策特措法ができた。2003年にイラク人道復興支援特措法、2009年はソマリア沖のアデン湾における海賊対処だとか、2015年に平和安全法制が成立した、などです。

 アメリカとの安全保障協議で。テーブル中央が筆者

僕は、1991年から国防部会を担当しています。
この表は、僕のために作ってくれたわけじゃなくて、防衛省が、法律がどういうふうにできたか、それにともなう自衛隊の活動をまとめたものです。
僕が担当する前は、防衛関係の法律は2つしかありませんでした。
防衛庁設置法と自衛隊法です。
そのあとにたくさんできたわけです。僕が全部の法律策定に携わってきたんです。
役所の方は、担当が変わると法律制定に関わりません。
政治家は、あるときはA議員、あるときはB議員と変わってしまいます。
僕は、たまたま与党・自民党の政務調査会の国防担当をしていました。
自民党職員にも人事異動がありますから、2回ほど異動の話が出ていました。
ただその度に、国会は「安保国会」なんですよ。
安全保障関係の法律案がテーマの国会が、ずーっと続くものですから、人事異動できずに、なんとなく今日まで続いてきたわけです。

 
田村重信 マイケル・グリーン、リチャード・アーミテージの両氏と
マイケル・グリーン、リチャード・アーミテージ両氏と

この問題を長く継続していたおかげで、慶應義塾大学の大学院生に15年間、「日本の安全保障」について講義することになりました。
安全保障の講義は年1回2回じゃないですね。年20回くらい講義をしないといけません。これだけの回数を講義するのは大変なんですね。
僕だけではありません。これから安全保障の講義をする先生が教えるための教科書が必要になります。
それで講義の内容を、整理して本にまとめようと思い立ちました。
僕が書いた『日本の防衛政策』『新・防衛法制』という本は、防衛省などの政府の関係者の人にも協力してもらってできた本です。ですから、政策や法律の内容についてこれ以上のものはありません。

今の日本でもっとも遅れている学問が「安全保障」の世界なんですよ。
日本の大学には、安全保障の講座というものがほとんどありません。
この本を教科書にして防衛省のOBの方に、大学の先生になってもらい、この本をもとに20回ほどの講義ができるようになっているのです。
 
僕は継続していたからこそ、すべての法律策定に携わり、大学の先生になり、先生のための本を出すことができたのです。
継続するというのは、大事だということですね。
 
『生きづらい時代 どうしたら元気になれるか!』