Episode ここだけの話など

001.「あの魚の歌」はこうしてできた

私が職員として政務調査会に配属され、水産部会を担当していたときのこと。
当時、日本では食肉の普及とともに「魚離れ」が急速に進んでいました。そのため水産業界は落ち込みがひどく、さらに、アメリカとソ連による二百海里水域からの日本漁船の締め出しで、北洋漁業の救済対策なども必要でした。そのような背景から、魚の消費拡大によって漁民を救済する策を、党内で議論していたのです。
そして私は、当時の水産庁の石原葵(のちに農林水産省事務次官)と協力して、魚離れ対策として街頭でイベントを開催したり、本を出版したり、キャンペーンソングの制作をしてみてはどうかと提案し、主導しました。これらは当然、前例のない初めての試みです。水産業界のピンチを乗り切るには、従来の政策の延長線上にあるようなパッとしない政策ではダメで、もっと大きな消費拡大策をとるべきだと考えたのです。
官民総力挙げてのプロジェクトになるので、当然、失敗したときのリスクは甚大です。今だから言えますが、内心では臆するところがなかったとは言えません。けれど、こういった仕事に携わるときも、やはり大河原太一郎(当時の農林水産省事務次官、のちに参議院議員)のように、強力な理解者の存在があったのです。そして自民党自体にも「何事も始めなければわからない。失敗を恐れていては何も始まらない」という雰囲気がありました。ですから私は、猪のように猛然と仕事に取り組むことができました。そうして、あの名曲が生まれたのです。
 
 さかな さかな さかな~♪ さかなを食べると~♪
 あたま あたま あたま~♪ あたまがよくなる~♪
 

 

 皆さん、一度は聞いたことがあるでしょう。そうです、スーパーの魚コーナー行くと流れている『おさかな天国』です。聞くだけで不思議と楽しくなるあの音楽は、じつは水産業救済プロジェクトから生まれた歌なのです。人徳者として知られていた芸能事務所サンミュージックの名物社長・相澤秀禎さん(故人)に、「キャンペーンソングを作って普及したい」と相談して、『おさかな天国』は誕生しました。
 
『気配りが9割 永田町で45年みてきた「うまくいっている人の習慣」』